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父の病院のお見舞いで思ったこと

雑記
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こんにちは。ぼうしです。

しばらく前から父の身体が悪くなり、「肺繊維症」という病気にかかり入院していました。

その後、病体が安定して一時的に退院出来たのですが、急変して再入院。

その病状がとても深刻で、僕自身も衝撃が走りました。

少しの間ブログの更新が滞っていましたが、父の件で家族と話し合ったり、

今日の記事のようにお見舞いなどでブロクの更新をお休みしていました。

帰省予定の1日前に再入院

僕はお盆の後半を使って実家に戻ろうと計画を立てていました。

父が始めて入院して以来、毎月一度は帰ろうと決めていて、8月はお盆に合わせていました。

ちょうど1日前に母から電話があり、父が再入院したと。

元々すぐに回復するものではない病状だったため、ある程度覚悟はしましたが、僕の帰る直前に再入院とは。。

病院に直行しました。

予想以上の状態に言葉失う

父の状態は思った以上にひどく、なんと声をかければ良いか言葉を失うほどでした。

父はとにかく苦しく一生懸命呼吸をしていました。

何もできない無力さ

僕は実は父とはあまり仲良くありません。

父と息子ってある程度の距離があるご家庭もあるかと思いますが、僕の家庭もその類でした。

なので父に対して割と無頓着でいられたのですが、今回は違いました。

ただ、助けてあげたくても、状態が酷すぎてどうすることも出来ないのです。

必死で痛みと苦しみに耐えてる父を見て「頑張れ」なんて言葉もかけられません。

父は既に極限まで頑張っていました。

僕は、長野から持ってきた「土産話し」を面白おかしく伝え、父の痛みが一瞬でも逸れるように努めました。

父もうっすら笑顔を作ってくれましたが、僕が出来たのはそのくらいでした。

もっと力になってやれたら。。

無力さを客観的に見つめる

帰省して二日目

今日もお見舞いへ行きました。

父は寝ていました。けれどきっと眠りは浅いようで、微睡んでいるような状態でした。

そんな父の横にそっと座り、ずっと観察をしていました。

すると父の身体を直視するのに慣れて、よく見ると昨日よりは容態は良さそうです。

酸素マスクも外れ、自分の肺で精一杯呼吸していました。

時折、ナースが看に来ますが、父状態を見るとみんな顔が引きつり「担当医に報告します。」と言葉を残して帰っていくばかりでした。

でも父は父です。

息するのがやっとで、喋る事も難しくなってしまったけれど、意識と脳ははっきりとしています。

父が起きると昨日のように世間話を始めました。

父がかすかに顔を崩してくれてたり、頷いてくれたりしてくれます。

普段父に世間話など大してしないけれど、父は必死で聞いてくれました。

自宅に帰ると、家の電話に留守電が入っていました。

電話の相手は、激しく咳き込む声でした。

父からの留守電だったのです。

僕が見舞いに行って家を空けた頃に留守電があったようです。

父は喋れないのに。。病院にいるのが不安なのでしょう。電話をくれて、父の辛さを感じました。

父の生命の強さ

母がいると何かと文句を言う癖がありました。それが日課というか、夫婦漫才のような会話をよくしていたものです。

今にような大変な状態になっても、夫婦漫才を繰りひろげようと必死で喋ります。

このパワーの強さ。夫婦漫才は今の父のエネルギー源になっていました。

 

ーーー

 

実家に帰って3日目、長野に帰る日でした。

帰りのバスの予約が面会の時間に間に合わなかったので、この日は面会出来ずでした。

そこで昼頃に母の携帯に電話がありました。

父からでした。

なんと咳混じりながらも、ちゃんと聞き取れるくらいに喋れていました。

投与してる薬が聞いてきているのか、根性で喋っているのか。

それにしても、母に対する愛のパワーにはとても強いものを感じました。

今の状態は病気の父はもちろんのこと、母にも負担がかかっています。

僕は田舎暮らしを始めて長野に来ていますが、実家は横浜です。

なかなか帰ることが出来ません。

どうにか父や家族の側に居てやれたら良いのだけど。。

また9月に実家へ向かいます。

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